コンプライアンス社内教育・企業内倫理研修/指導者育成・リーダー講習

『コンプライアンス』という言葉を耳にする機会が多くなってきていますね。

言語的な意味は、『 コンプライアンス(compliance)=遵守(じゅんしゅ)・従順 』という意味になります。

 

例えば、企業コンプライアンスは、通常『企業の法令遵守』という意味の使われ方が多いようです。

 

一言に「 法令遵守 」と言いましても、その(法令)内容は多種多様です。

 

また、「遵守」という言葉ひとつにしましも、どのようなものを遵守というのかは、非常に奥の深い内容になっていきます。

 

 

 

企業内において、コンプライアンス教育といったものを考えた場合、ハッキリ言って一筋縄ではいかない。

その様なケースが多いです。それぐらい時間や手間、エネルギーがかかる。

 

かといって、いざ研修やセミナーになると、何だか難しい言葉や理念・概念ばかりが並びたてられて、

一瞬はわかったような気になるものの、結局現場で使えない、感覚が湧いてこない・・・。

一過性のものになってしまいやすい。

 

 

お一人お一人にこのような感覚といったものをしっかり身に付けていただくには、

それ相応の時間と手間暇がかかることの裏返しにもなっているように感じます。

私自身も、そんなにまともなコンプライアンス意識といったものがあるのかどうか・・・、

こんなこと言ったら商売にならないかもしれませんが、いつも感じてしまう事です。

 

 

 

『 コンプライアンス研修 』 と 『 コンプライアンス教育 』 

分けて考えた方が、わかりよいかもしれません。

 

コンプライアンス研修は、知識の会得。

コンプライアンス教育は、人材や感覚の育成。

 

コンプライアンス教育は、目標はお一人お一人の感覚の会得です。

それ相応の時間やエネルギーが必要となってきます。

 

 

また、自分の企業の社員さんの『 コンプライアンス意識 』 というテーマは、

裏返しで役員さん(特に取締役の立場の方々)への責任問題につながっていく事になります。

そこがスッキリクリアできている企業は、やはり風通しや雰囲気、業績がいい。

そのように感じさせて頂く機会は、少なくありません。


 

 

 

 

どちらにしましても、

企業内・社内において『 コンプライアンス教育 』考えていかれる際に、とても有用な視点があります。

 

それは、企業内も、法令も、日本国の大きな法システムも、世界国際法関連も、必ず一つの大きな共通な連動する主軸というものがきっちりと存在するということです。

 

 

この主軸は、

一つ一つの現場の目線から日本や国際世界にいたる大きな視野まで、

リンク連動しています。

 

 

また、

この主軸の捉えようは、各個人個人が各々に捉えるものであるので、

100人いれば100通りの正解が出てくる

という所が面白い所かもしれません。

 

ここの部分がコンプライアンス教育(≒法教育)の一番の急所の部分と感じます。

 

 

 

一朝一夕に会得されるのは中々難しいかと思います。

 

また、元々そのような分野に興味をお持ちの方や仕事として関わりをされた方々は、

すでに素地が身についておられるケースもよくお見かけします。

 

 

また、企業の内部において、コンプライアンス教育に向き合っていかれる際に、

外注で専門職から補充することも重要です。

・・・しかし、コストがかかる。

 

そのようなコンプライアンスや企業倫理の教育をすることができる人材を

社内で作って(育成して)しまう

長い目で見ると一番効果的なアプローチになるかと思います。 

 

 

 

コンプライアンス教育において、一番まず大事に会得されていかれる感覚は、

バランス感覚

の一言に尽きるかと思います。

縦軸の入った柔らかな拡がりのあるバランス感覚というのがしっくりくるかもしれません。

企業の役員さん方や、行政等での立場あられる方は、

本当に芯からしっかりと身についておられる印象があります。

 

 

 

そして、民間企業様であれば、

公的な部分(法令遵守)

民間の部分(その企業の経営活動・商売の部分)

バランスが最重要と思われます。

 

ここの部分で、

悪気なく大きく足を踏み外すケースが多いように感じるからです。

些細な感覚のズレや欠落で大きな事故に繋がってしまう話は、

よく聞く話です。

 

 

ここは、国家資格者という官と民の狭間にある微妙な立場の方々は、

常日頃意識せざるを得ない部分であるように思います。

そのような専門職の方をいいように活用されて身に付けていかれるのが、功を奏すように感じます。

(最終目標はその専門職がいらなくなるような環境や人材ができてこられることです)

 

 

 

また、指導者育成・リーダー講習レベルの研修においては、

コンプライアンス教育における 『バランス感覚』 に加えて、

バランスの一方の公的な部分(法令遵守)の中に、

『 大きな縦軸の連動 』

   (・・・∽・・・∽会社の定款∽法令∽憲法∽国際法∽日本の歴史∽世界の歴史∽・・・∽・・・)

という切り口を加えていかれると、より一層迫力が出てくると思われます。

 

また大きな縦軸を使いこなしていかれるのは、各リーダー候補生、指導者候補生ですので、

その方それぞれの「持ち味」というものが、強烈に発揮されいかれる事が多いようですので、

ここの部分は、いい意味で、本当に目にもの見せつけられる所です。

強烈な鮮やかさの埋もれている 「若い」 という期間は、本当に素晴らしいことだと感じます。

 

これは、何も法学部だからとか、法律職だからとか、法に興味があるからとかではなくて、

戦前戦後の日本における憲法の比較を各自でトータルとして見渡すことができるようになられる事、

ここら辺が大まかなリーダー育成や指導者育成の際の、最初の目的かと思います。

(最近の印象では、すでに身につけておられる相当程度に優秀な若い世代の方が多いように感じます。)

 

 

別に、資格試験をクリアーすることが目的ではありません。

ですので、

あまりに難行・苦行のような踏ん張ってもクリアーを・・・

といった部分の色合いは強くありません。


(ただし、基本の言葉にあたるような、最低限の言葉や仕組みは

はじめは暗記的に身に付けられる必要がありますが)

 

 

 

このようなコンプライアンス教育(企業内倫理教育)を見据える場合

どうしても時間がかかります。

長い目での取り組みが必要です。

 

また、社外役員(特に社外監査役)のお立場であれば、

より一層の効果は生まれ易いと思われます。

監査の大きな主軸の一つは、法令の部分であるので、

企業の監査、法令遵守、コンプライアンス教育、企業内倫理といったものに、

そのまま連動してリンクをしていくからです。

 

 

 

繰り返しになってしまいますが、最終の目標

社内でそのような倫理教育なりコンプライアンス感覚の啓蒙をすることのできる人材

を創りあげていってしまう(育成する)ことです。

 

上場企業のような、システムが大きく整っていっておられるケースとちがって、

中小企業においては、このようなシステム自体が大きく出遅れてしまっておられる所は多いようです。

その証拠として、未経験の事態や事業承継のシーンに差し掛かると、突然にうまくいかなくなる。

事業体が分裂してしまう、分解してしまう。

 

そんな中で、中小企業の実務現場において、先駆的な社外役員の方々がおられます。

上場企業を退職されたような元役員のお立場のような方々が、

ベンチャー企業等において、このような関わりをされておられるケースなどは一つの典型例かもしれません。

 

 

 

また、

コンプライアンス教育の中で、思わぬ形で響いてこられるのは、

家庭内や親族・知人との関係性やコミュニケーション

の部分でしょう。

 

これは、本人も周りも素直にうれしいですね。

 

 

 

大きな視点なり、ご自身を大きな目から同時にとらえる事の出来る感覚は、

一番大切な家族・家庭の中で、大きく役に立たれて行くように感じます。

相手(家族)は全く変わっていないのに、前と全く変わって見えてしまう。

 

自分一人の視点だけでなく、相手なり、複数の視点から、同時に物事を観れるような感覚。

そういった感覚には、柔らかさや温かさといったものが自然と含まれているようにも感じます。

 

また、そういった感覚が何か特別であるとか、優れているという様な感覚ではなくて、

自然と人間はそのような感覚を持っている、という所に気づく(思い出す)ようになると、

大きくその方の感覚(自覚)といったものが、進むように思います。

 

 

 

また逆に、ここでドツボにはまるコツから分析してみましょう。

それは、コンプライアンス感覚を持っていることが、「特別」であると思ってしまう事かと思われます。

お恥ずかしい話ですが、自戒の意味を込めての話になりますが。

 

仮にそれ相応の立場で評判(素晴らしいという評価)を周りが口にしだしたとしたら、どうでしょうか。

確かに、人に賞賛されてうれしい。という人としての素直な気持ちはあります。

 

・・・が、しかし、肝心のその周りが特別で素晴らしいと評価している「特別」である本人の感覚は、

本人自身が「特別」であると思った瞬間から、湧いて感じる事が大きく減少してきます。

「あの特別な沸き立つような感覚」と、掻き立てても何も湧いてこない。

 

特別であると思った瞬間に、特別でなければならない。特別であらねばならない。

目の前なり今のここにある身の回りに対する、ただただの感謝であるとか喜びという

今の瞬間にフォーカスし続ける中で、勝手にわいてくる喜びや平和な感覚が湧いてきてある。

という前提は、あっという間に吹き飛んで無くなっていってしまいます。

 

掻き立てても掻き立てても、そのような感覚は湧いてこない。

 

 

そしてより気の毒なケースは、

周りは「特別」扱いをしているのに、肝心な自分に「特別」という感覚は湧いてこない。

けれども実績が出ているのでその状態が続いてしまう。

一種の裸の王様になっている状態でしょうか。


状況が進むと、その特別を自覚、認識したいがために、自分の周りや環境に対して、

様々な形の力を行使したり、影響を与えようとする。

 

 

実際に言葉にしてみるとあまりに馬鹿らしすぎて、一つの寓話みたいに見えてきますが、

しかし、肝心の自分自身には大いにあてはまってしまいました。

あまりに自分の本質の本音が馬鹿げすぎていたので、

それを正面から認めようともしていなかったのです。 ・・・焦りました。

 

何だか笑い話のような話です。 しかし、当の本人にとっては本当に悲劇です。

それに気づけていない。という意味で悲劇です(悲劇でした)。


自然と 「 特別である 」 と感じられない。

喜びといったものが、湧いてこない。

 

 

処方箋は意外と簡単な話を教えて頂きました。

「特別」と思っている自分を、肯定も否定もせずに見つめる。

ただそれだけだそうです。

 

簡単すぎて、『 え? 』 です。

 

見つめられないなら、見つめられない自分をまた見つめる。受け入れる。

それも受け入れられないなら、受け入れられない自分を見つめる。

見つめたつもりがなんか納得できなくて少し腹が立つ。のならそれを見つめる。

なんか書いてて可笑しくなってきました。

 

そのうちに、そんな特別であろうとする自分をリアルに見つめていたら、

なんだか可笑しくて可笑しくて、笑ってしまったら。

おそらく半分は問題解決のようです。

あとは、そんな気持ちや感覚になるたびに、見つめる。

笑ってしまうところまで見つめる。その感覚をまた丁寧になぞって思い出す。

思い出せなくて焦って不安になったら、それも見つめる、受け入れる。

なんか、昔よく見た「一休さん」のトンチ比べみたいです。

 

 

新人社員さんや、大学生や高校生の方々には、

このような感覚の会得の話は、大きく興味を持たれる方が多いと思われます。

すでに「そんなん、当たり前のことなんじゃないでしょうか。」

柔らかく即答で言い切ってしまう感覚の方もおられます。


以上が、あんましはまりたくない ドツボ にはまるコツのようです。

 

 

 

このような目線からのアプローチからも、

企業内の感覚といったものを変えていく一つのヒントになるかもしれません。

 

自分(企業)を肯定も否定もしないでリアルに見つめて、そのうち思わず笑ってしまう。

そこから新しい発見やアイデアや新しい人間関係が生まれてくるのかもしれません。

 

 

少しづつ でもしっかりと、いい方向へ

気づいていかれることを願っています。

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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