心と身体のバランス

ここ最近、といっても大分前からでしょうか・・・。

色々な分野で『心と身体のバランス』という様な言葉を耳にしますね。

メディアにおいてや、ヨガや整体やカイロ、リラクセーションスペースといったものを街で目にする機会もなんだか非常に多くなっていると感じます。

 

この『バランス』という言葉の意味合いは、司法書士という職業についても同じくあてはまるキーワードと感じます。



依頼者の方と向き合いさせて頂く際などに、依頼者の方が今どのような『こころと身体のバランス』になっておられるかを感じとらせて頂くことはとても大切です。

そうやって意識をもって話をさせていただく事で、その手続き全体やその方と関わり自体をスムーズに進めていくことに繋がる気がしています。

  

 

目の前の依頼者の方の、この『バランス』が何か崩れている、何か違和感がある、と こちらが感じてしまう時、表面上の相談内容の奥底に、何らかの深刻な問題(家族の問題、健康の問題、仕事の問題、人間関係の問題、ご自身への誤解 等々)が潜んでいるケースが非常に多いように感じます。バランスの崩れまくっている自分がいうのもおかしな話ですが。

これは、このケースは「〇〇〇〇」という回答が確定してきたような状況においても、この違和感を感じる時は、気を付けてやり取りをさせて頂くようにしています。


先輩の恩師の先生からは、不動産登記の取引の決済の際、

『どれだけ確証が持てて理詰めで見たら大丈夫なように見えても、必ずジョーカーは残しておかないといけない。それぐらい、人間の勘というものが働く、不思議とある。しかも、その勘が働くとき、なんだかよく当たる。本当に注意しないといけない。また、いつもそんな勘が働いてくれるように、日常の通り方をしっかいしないといけない。』

と教えて頂いたことがありました。

この相談者の方の「バランス」というものに向き合う際にも、全くその通りにあてはまるように感じます。

 

また、ここでもうひとつよく出くわすシーンは、

僕らのような専門職の立場からみれば『明らかに問題であるような事柄』でも、ご本人さんやご家族が当たり前のこととして長年受け入れ続けてしまっていて、『問題であるとさえ 思っておられない』 という事態です。これは、はっきり言ってひとつの悲劇です。

 また、このような潜在的な問題と向き合っていかれるときには、依頼者と司法書士だけではとても太刀打ちできない問題であることが多くあるのも事実かと思います。


このような際、家族(特に親子・夫婦)、親族や他の専門職の先生、行政機関の窓口、カウンセリングや時には住職さんや牧師さん等々までもの役割分担をしっかりしていくことが非常に有用です。

こうやってご自身の環境を変えていく中で、さらに生活習慣や生活環境を一つ一つ変えていかれると、自然と活路が開けてこられる方が多いようにお見受けします。

 

 

自分自身も含めての話になりますが、仕事を抱え込んでしまって、解決できない苦労をしていったら何とかなるとやり続けてしまう時が、専門の職業の方には多いように思います。


『問題(仕事)を自分一人で解決できるもの』と錯覚してしまって、一人で問題(仕事)を抱え込んでしまい、結局人を助けているつもりが、自分自身が倒れていってしまうケースです。

悲しい話ですが、周りの様々な専門職の方々で、実際に離職・廃業されていかれた方々を少なからず見てきておりますが、本当に残念で勿体ない部分です。

 

人一倍に情の深さや熱意がある方であったがために倒れてしまわれたような、本当に気の毒なケースも多く、専門職そのものが、問題を問題と気づいておられない依頼者の方と、全く同じ構図(踏み入り過ぎる事自体が『問題』なのを問題と思っていない)にハマってしまっていることは少なくありません。

 

 

こんな時は、恩師や大恩人の方から教えて頂いた言葉を思い出すようにさせて頂いています。

 「なんでも、低くなって感謝して。相手に頭を下げていつも教えて頂くように。」

 「自分の判断自体があっているかどうかはいつも疑うように。いつも白紙の心で。」

 「とにかく、ニコニコして喜んで、喜んで。そしたら、良くなる。」

 

 

このような切り替えや発想の転換が上手になってくると、なんだか人生明るくなってきます。

大分馬鹿になるのが上手になっているのかもしれませんね。楽しいです。


切り替えがなかなか思うように行かないときもあります。

しかしそんなときは、苦しい分だけ、より一層切り替えや上の言葉の意味合いの受け取りが上手になる。逆に楽しいな。もっとしんどいのこっちこい。そんな風に思うようにすると、本当に思うようになります。

相手のために馬鹿になるって楽しいです。もっと早く気づいていればよかった。

 

これは相談に来られる方々に関しましても同じです。

馬鹿になって同じようにお伝えさせて頂いています。

もしかしたら、相手ではなくて 自分自身に言い聞かせているだけなのかもしれません。 

 

自分も含めた人の持つ『心や身体のトータルバランス』というものを

少しは自然と感じ取らせて頂けるようになってきてからは、

なんだか人生明るく簡単になってきています。


家族や親族、縁のある方々との素晴らしいつながりに

自分は支えつづけられていることが身体でわかる、

素直で赤裸々な目で自分なり相手が感じ取れる意識がある。

小さかったころの何を見ても喜んだり驚きや発見がある感覚があること。

はとても楽しく幸せなことと思います。

どこか別の所に行く必要があったり、お金や物が必要であったりする必要はあまりありません。


また、そんな意識が意識できている時は、

自分自身のこだわりといったものが、なんだか面白く見えてきます。

なんか自分って「井の中の蛙」やな、

大したことあらへんのにえらいこだわりもってエラそうにしてるな、

なんか訳の分からない基準や信念をかってに自分でつくりあげてエライ一生懸命なっとるな、

思わず自分自身の姿に自分で笑ってしまうようなシーンもなんだか最近多いように思います。


自分自身って、結構阿呆やし面白いやん・・・。そんな感覚です。 


 

法的な世界でのやりとりは、ある意味、将棋や碁の世界に近い様に感じます。(将棋も碁もほとんど素人です)

こちらが百主張するのであれば、相手も百の主張を言い返す、こちらが千言っていけば、相手も千言い返すことができる。

そんな拮抗した終わりのない様な世界です。


言葉のロジックの世界ですから、表といった瞬間に裏が生じるようなものです。

その両面の感覚、両面を包んでしまう感覚を法的バランス感覚というのかもしれません。

 

一極が生まれれば、対極が生ずる。 

ちょっとディープになってきました。 

 

バランスの話に戻りますが、

ほどの自分なり人のもっておられる心や身体のバランスを感じ取るようになっていくと、

法律や法務の上手な使い用というものが見えてくる気がします。

私自身も自分のこだわりが強く、まだまだ未熟ですので、大した内容はお伝えできていません。


ただ、『法』という学問にむきあっておられる熱心な学生さんや、

未来に思いを馳せている中学生高校生の若い世代には、是非早いうちから握って頂きたい部分です。

  

これは言いすぎかもしれませんが、

ある意味、職業的な法律・法務の部分を知っておられない方のほうが、

僕らのような職業人よりもはるかに『自然な人達』に見えてしまうことが多い。

事は事実と思います。


少し耳の痛い話です。

  

 

僕の周りの専門職の方々は、バランスのとれた素晴らしい方々ばかりです。

この事実は自分自身への戒めですね。


周りの方と仲の良くさせて頂く中で、これからも自分を含めた周りにゆっくり耳を澄まして、

仕事をさせていただきたいと思います。

  

より良き助かりを願っています。

ありがとうございました。

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 




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